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・庭で採れた土筆の醤油炒めフキノトウの味噌汁+小鯵の南蛮漬け
一点だけ守るものがあるとするならば、それは「正直さ」だと思います。
有機野菜だから安全な野菜だけ使用してると言う割には、
有機栽培の堆肥の元である動物の飼料には化学肥料を用いた可能性
(循環してますから本来なら当然問題なのです)を問うていないとか。
自然農法の野菜を使ってると言う割には、すでに過去に農薬や化学肥料を用いた土地で、
今現在は用いないだけという、体裁だけの健康野菜であるとか。
「こだわりの何々」「厳選した○○」と謳ってるのに
デベロッパーから仕入れた冷凍食品であるとかレトルト食品であるとか。
そう言った「不透明さの」垣間見えるところは外すことにしてます。
有機農法だから、自然農法だから
安全で美味しい野菜が取れると言う単純な話ではありませんし、
無農薬でも、有機野菜でも体に良くないと言われる野菜は存在します。
レトルトだから駄目と言う事ではありません。
レトルトにも素晴らしいものはありますし、冷凍も調理技術の一つだからです。
素材が、調理法が、ラインナップが、○○だから駄目とか良いとかの基準は設けず、
謳っている事とやっている事が一貫してるかの「言動一致」と「謳っている事の透明さ」
を最低限のラインに据えたいなと考えてます。
当サイトの運営目的は、「ほけきょ庵伊豆高原教室」と言う私たちが運営する施設のご予約時やご利用後のお客様からよく聞かれる言葉、「どこか美味しいおすすめのお店はありますか?」の問いに答え、年間一万人近い利用者の方々に整理してお伝えする事です。
それ以外にも、こちらのホームページにたどり着いた方は多いと思います。
伊豆旅行、もしくは地元で美味しいものを探してる方がほとんどだと思います。
載せているのには上記の理由があるし、載せてない事にも理由があります。
なぜなら、良いと思えないところをわざわざ載せて、「定置網から仕入れた新鮮魚が売り」のお店に対して「味の素の味が折角の新鮮魚を潰しいてる」とか「こだわりの煮込みカレー」が売りのお店に対して「業務用スーパーで仕入れたレトルトにきざんだ玉ねぎ混ぜて煮込んだものであろう」などとネガティブに表現することほど馬鹿らしいことはないからです。
媒体で情報を発信するのは殆どの場合が一方的です。
匿名でいい加減な事を書くことすら可能です。
書かれた側は、情報を訂正する機会すら与えられません。
であれば、情報を発信する者の配慮、心構えとしては、
ネガティブな情報を1本発信する手間でポジティブな記事を1本発信するほうが
限られた時間を有効に活用できる事以上に気分的に楽だと言う事なのです。
・南伊豆でアイガモ農法シーズンを終えた鴨を入手、妻の姉の作った鴨のコンフィ
私なりの観点をまとめておきます。
・美味しいとか美味しくないとか
グルメ系ブログや口コミサイト欄なんかを読んでいると感じるのですが。
美味しいや美味しくないと言うのは、主観的かつ相対的な価値観の中で語られるものであって。
他人がどう言おうと美味しいものは美味しいし不味い物は不味いのです。
したがって私が食べて美味しくないものをわざわざ「美味しくない」と紹介するくらいなら記事にしません。
・厨房に立ってた者として~料理を提供する側からの観点
私自身が社会に出て最初に勤めたのがターミナル駅のレストラン&居酒屋でした。
当時はバブル最盛期で、日に1000人超えの利用者のあるお店で、16歳の私は大学生のアルバイトや、社員さんらにシゴキ可愛がられ、社会の掟と共に調理技術を叩き込まれました。
10代の物覚えのよさも手伝って半年後には、厨房で一番忙しいポジション、グリル場を任されるまでになりました。8時間10時間の労働が2~3時間に感じるほど集中せねばこなせない職場でキツイ仕事でしたが、肉体の疲れとは裏腹に爽快感&労働の楽しさを満喫しつつ青春時代を過ごしました。
・伊豆だから、観光向けだから
伊豆の名産は○○なのだから伊豆の食堂にそれが無いのはおかしいですとか。
○○は伊豆じゃなくても食べれるから出されても困るですとか。
そういった観点もあるとは思いますが、それのみではナンセンスです。
私は、「アジもキンメ」も食べたければ「ウニもイクラ」も食べたいです。
どこかに行ったときにそこのものだけしか食べないなんて事もしません。
求めることはあるけど、ただそれだけの話で、それはお店側の問題などではなく
ごく個人的な嗜好に過ぎないと考えてます。
その逆に、わざわざ伊豆に無いような物を求めるのもナンセンスと考えてます。
それは、素材のみならず「都会的なセンス」とか「競争に勝ち抜き洗練された」なども含みます。
伊豆は都会ではないし、競争も都市部に比べたら断然ゆるいのです。
しかしながらそういった店が一切無いと言っているのでもなく、
価値観はそれのみに在らずでしょう?と考えます。
逆を言えば、「港町ならでは」の調理法ですとか。
田舎のおばちゃんの拙いサービスを楽しむ「ゆとり」を持つことを提案したいです。
どこそこに住んでいるから、行ったから、地の物にこだわるのはありだと思いますが、
地の物「のみ」にこだわったり無い物を求めたりと、せっかく目の前に出されたものを
楽しめないようでは、本末転倒に陥ると考えます。
・妻の友人が下田の海でとっておくってくれたぶっといひじき
・グルメ情報を共有する意義
味覚とは、嗜好の問題であり、それをさも、「私はこれだけのものを食べてきたから」と
自身に権威を付随させた上で良し悪しに上下を設けて語ろうと言うのは、臆病だと思います。
それは、TVや新聞・マスコミが「中立性を保つ」と宣言するくらいに胡散臭い話に聞こえます。
※個人的な見解。メディア媒体と言うのは広告を扱い広告主の意に反すことが出来ず、
資本主義のシステムの一部であり。よって中立性が成立し得ない存在であるとみなしてます。
国営放送も同様に総務省の管轄下にある限りその意向には大きくは逆らえない存在であるとみなしてます。
・「このような文章を書くやつの情報なのだな」と判断して活用頂きたいと言う事。
もちろん中立性の事で言えば、それはマスコミに限らずで、グルメブログなどでも
「友人がやってるお店」の評価に手心を加えてるであろう情報などもよく眼にします。
グルメサイトにおいては、もはやクチコミの大半が業者や友人らの書き込みや、
自演によるステルスマーケティングであると考えた方が良いでしょう。
これらは人間である以上仕方のないことなのかもしれません。
そうなると情報を受け取る側の能力が試されるわけでして。
そこらへんの行間を読みつつそれらの情報の精度を吟味し活用して行くのが情報社会でのサバイバルなのでしょう。
中立も公正もある、ありえない、などと情報の精度に右往左往しつつも。
結局のところは、あれも美味しいこれも美味しいと、許容範囲の広がりを見せ。
考えを異にする人々の情報も一つの選択肢として共有し、それに加えて自分なりの観点を上手に伝えることが出来るようになってゆくことこそが。情報を共有する意義であると考えます。
・グルメなどの様々なインプットは、自身の創作作品や
・音楽活動を通じてアウトプットします。(BANDメンバー募集中)
以上のことから、グルメ系サイトの割には、網羅してるとは言い難い記事数かと思いますが。
その必要性は他のサイトに譲りたいと思います。
そして、食べれば食べるほどに学ぶことは、
「私の知らないこんなお店やあんな料理、こんなサービスがあったのか~」です。
紹介するお店は、伊豆高原周辺に限定したにも拘らず、
まだまだ食べた事のない物や知らないお店だらけなのです。
よいなと思えるお店がありましたら紹介してください。
よろしくお願いします。